最近、職場でこんな場面に心当たりはないでしょうか。
説明はした。背景も目的も伝えた。その場では、相手も確かにうなずいていた。
それでも、仕事が前に進まない。次の一手が出てこない。こちらが想定していたよりも、ずっと手前で止まっているように見える。
「理解していないわけではなさそうなのに」
「納得もしていたはずなのに」
そんな違和感を覚える場面が、以前より増えているように感じます。
特定の誰かが急に変わったわけではありません。新しい人が入ったから、という話でもない。仕事を投げているわけでも、説明を省いているわけでもない。
それでも、仕事が“前に進まない”瞬間が、確実に増えている。気づくと、確認の回数が増え、フォローの手間が増え、「一度で伝わる」感覚が薄れてきている。
これは、誰かの能力や姿勢の問題というより、最近の職場に漂っている空気の変化なのかもしれません。
説明すれば動く。理解すれば進む。そんな前提が、いつの間にか噛み合わなくなっている──
まずは、その感覚に目を向けるところから、話を始めたいと思います。
説明はしている、でも動かない
まず前提として、多くの管理職や支援者、先輩たちは、ちゃんとやっています。説明不足なわけではありません。仕事を丸投げしているわけでもない。「とりあえずやっておいて」と雑に任せているわけでもありません。
背景も伝えている。なぜこの仕事が必要なのかも説明している。注意点や、やってはいけないことにも触れている。時間を取って話し、相手の反応を見ながら言葉を選び、必要だと思うことは一通り伝えている。
それでも、現実にはこうしたことが起きます。
・仕事が、途中で止まる。
・判断が先送りされる。
・期限が近づいてから、ようやく動き出す。
・あるいは、形にならないまま時間だけが過ぎていく。
「説明はしたはずなのに」
「ここまでは理解していると思ったのに」
そう感じるたびに、伝え方を変えてみたり、説明を増やしてみたり、声をかける回数を増やしてみたりする。
それは決して、手を抜いているからではありません。相手を信頼し、支えようとしているからこその行動です。
だからこそ、仕事が動かない状況が続くと、「何が足りないのだろう」と悩んでしまう。
この段階で大切なのは、やり方が間違っていると決めつけないことです。
説明している。配慮もしている。善意と努力を重ねている。それでも動かない──その事実そのものに、これまでとは違う何かが起きている兆しが、 含まれているのかもしれません。
以前は、これで回っていた
少し前まで、 職場はもう少しシンプルに回っていた感覚があったのではないでしょうか。
説明すれば、動いた。理解していれば、仕事は前に進んだ。一度方向性を共有すれば、あとは任せても形になった。ところが、今は違う。同じように説明しているのに、止まる。
もちろん、細かな確認や修正はありました。それでも、「説明→理解→実行」という流れは、ある程度スムーズに機能していたはずです。
不思議なのは、やっていること自体は、以前と大きく変わっていない点です。説明している内容も、仕事の進め方も、求めている水準も、極端に変えた覚えはない。
それなのに、今は違う。理解しているように見えるのに、進まない。確認やフォローを増やしても、安心できない。
この違和感は、「最近の人は…」という話にしたくなるほど、じわじわと現場に広がっています。けれど、ここで一度、立ち止まって考えてみたいのです。
本当に変わったのは、人なのでしょうか。それとも、人を取り巻く仕事の前提や環境のほうが、静かに変わってきているのでしょうか。
もし後者だとしたら、必要なのは「人をどう変えるか」ではなく、仕事の捉え方そのものを見直すことなのかもしれません。
変わったのは「仕事の前提」かもしれない
ここまでの違和感を、もう少し引いた視点から眺めてみると、ひとつの仮説が浮かび上がってきます。
それは、変わったのは人ではなく、仕事の前提そのものではないか、という考え方です。
いまの仕事は、確実に複雑になっています。ひとつの業務の中に、考えること、選ぶこと、切り替えることが増えている。昔なら決まっていた手順や判断が、「その都度考えるもの」になっている場面も少なくありません。
・優先順位をどうつけるか。
・どこまでやれば一区切りなのか。
・いまは進めるべきか、待つべきか。
こうした判断が、仕事の途中、何度も求められるようになっています。その結果、「自分で考えて進める」ことが、特別なスキルではなく、前提条件のように扱われるようになりました。
一方で、私たちの側の仕事観は、あまり更新されていません。
説明すれば伝わる。
理解すれば動ける。
この前提は、今も強く残っています。
だからこそ、説明しているのに進まないと、戸惑う。納得しているはずなのに形にならないと、焦る。けれど、ここで噛み合っていないのは、「説明の丁寧さ」や「本人の姿勢」ではなく、仕事の構造と、私たちの前提認識のズレなのかもしれません。
仕事は、より多くの判断を含むように変わってきている。それなのに、「理解できれば動けるはず」という前提だけが、以前のまま残っている。
このズレに気づかないまま進むと、現場では、説明やフォローが増え続けます。それでも、なかなか楽になりません。
ここで視点を変えてみると、次に考えるべきなのは、「どう説明するか」ではなく、どんな前提で仕事を設計しているのか、なのかもしれません。
それでは、その前提をどう見直せばいいのか。そのヒントを、この先で考えていきます。
だから、個人の問題に見えてしまう
仕事が止まる場面に直面すると、私たちは無意識のうちに、原因を人の側に探し始めます。
動かない。 → 主体性が足りないのではないか。
迷っている。 → 判断力が弱いのではないか。
進まない。 → やる気の問題かもしれない。
こうした解釈は、責めたいから生まれるものではありません。むしろ、「どうにか前に進めたい」という善意から、自然に立ち上がってくる見立てです。
けれど、ここで一度、立ち止まって考えてみてください。同じような違和感が、特定の一人ではなく、複数の人に起きていないでしょうか。
ベテランにも。真面目な人にも。これまで問題なく回してきた人にも。もしそうだとしたら、それは「誰かの資質」の問題では説明がつきません。
それでも、私たちはつい、個人に理由を寄せてしまいます。なぜなら、仕事の構造や前提は目に見えにくく、人の振る舞いのほうが、圧倒的にわかりやすいからです。
だから、動かない理由を本人に求める。迷う理由を性格や能力に帰属させる。この瞬間から、現場は少しずつ疲れ始めます。
「もっと主体的に」「もう少し考えて」「次はちゃんと進めて」
声をかける側も消耗し、受け取る側も、説明できない重さを抱える。問題が人に寄ったままでは、フォローは増えても、楽にはなりません。ここで必要なのは、誰かを評価し直すことではなく、見方を一段引き上げることです。
そして、考えるべき点は、この違和感は、本当に個人の問題なのかという点です。
「説明しているのに動かない」は、警告サイン
「ちゃんと説明しているのに、なぜか動かない」
この違和感は、誰かの能力が足りないというサインではありません。まして、やる気がないという証拠でもない。むしろそれは、仕事の設計や前提が、今の働き方に合わなくなってきているという静かな警告なのかもしれません。
説明すれば伝わる。理解すれば進める。その前提が成り立っていた時代には、確かに、これで仕事は回っていました。けれど、判断が増え、切り替えが増え、一人ひとりが背負う構造が複雑になった今、同じ前提のままでは、仕事が止まりやすくなるのは自然なことです。
それを見過ごしたまま、「もっと主体的に」「ちゃんと考えて」と個人に返し続けると、現場には説明しきれない疲労だけが積み重なっていきます。この違和感を、「能力」や「やる気」で片づけてしまうと、現場はますます疲れていきます。
だからこそ、この小さな引っかかりを、そのままにしないでほしいのです。それは、次の見直しが必要だという、組織からのサインなのかもしれないからです。
では、この「説明しているのに動かない」という状態は、いったい職場の中で何が起きているのでしょうか。
誰かの能力や姿勢の問題として見てしまう前に、仕事の進み方そのものに目を向けてみると、少し違う景色が見えてきます。
実は、「わかっているのにできない」という状態には、本人の中で起きていることと、 仕事のつくられ方によって生まれるズレがあります。
それを、個人の問題ではなく、構造の視点から整理した記事があります。もし、今日感じたこの違和感に、少しでも心当たりがあるなら、続けて読んでみてください。
「わかっているのにできない」は、誰の問題か──IQ100でも起きる“実行のズレ”

























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